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dear 親父殿

(´・ω・`)リクエストがあったんだよなー

ウチの親父は、アタシよりどうしようもねー
冗談にするしかねー親父だったんだわ
どうしようも、というより

しょうもねーっつう種類で


っつう話を聞いたヒトが
アタシの、親父殿の話を聞かせてくれっつうから

ひとつひとつ 思い出してネタにしてやろう

聞かれて困るヤツもおらんし
容赦なく
ガチの実話を書いてみよう


アタシ、何歳だったのかなー?
一番、古い頃の記憶は、オフクロが一度倒れた頃だったと思うのだけど
記憶は無くはないけど、人格としてまとまっちゃあいなかった頃だにー

物心がつく、の判定がどこにあるかはシランけど
記憶がある時点を差す言葉では無い、と思って書きますが


田舎っつうのは
別にカネがあるわけでなくても、やたらと でっけえ家が多くてなー
実家の間取り、8Kとかになるのですが


物心がついた頃

家の一番奥の、暗い部屋

ここに、いつも1人で居るオヂサンが居てさ?
アタシは不思議だったのよ


んで、オフクロに聞いてみたわけだ
『あのオヂサン、だぁれ?』

答えは
『アレはあなたの、お父さんよ』


(´・ω・`)既にッ!!

既に既に既に既に既にィィィィイ!!!!!


浮気で、家庭内別居っつうのか?
たぶんアタシ、4才くらいか
まともに意識として認識した頃には
『よくわからないオヂサン』扱いである


嫁の家に入った身分で、エラっそうに名字は自分の名字にさせて

いつのまにか浮気して、結果は家の隅っこに

ザリガニかなんかか?

 

親父殿
居る事には家に居たが、まあ全然関わらなかったなー

そいつ
私の保育園、卒園と同時に離婚成立して
まあ家から出て行った

当時の私の認識は
『よくわかんねーオヂサンが出て行った』

 

彼の、その後ひたすら、しょうもねぇ人生
輝かしい第一歩である


あ、ワリー
親をこきおろす なんてとんでもない!
とか無条件に考えるような
そんなピュアなオマエは、まわれ右だべ、この話
どうせアタシとオマエは仲良くなれねーから、帰んな


さて、親父殿だ
六年後には売っ払っちまうんだが
家を買って、バーサンと住みはじめた

面会の類いだったんだろうな
月に一回、泊まりにいく事になっていたが


半年を待たず、迎えには来なくなり
一年後には家に帰らなくなったそうだ
もう少し先のネタにはなるが、中学年の頃には
養育費もブッチぎったってよ
中学生じゃなくて、中学年だ。間違えるな?

ちなみに、まだ居た頃は
勉強しろ
もっと成績を上げろ
自分は勉強できた
しか言わなかった気がする


バーサンとは後年まで良好な関係だったのですが
これほど口の悪いアタシでも、一つの悪口も思いつかないヒトで
つまり
バーサンに会いに行ってただけだから、親父殿は全く不要でしたが



そんなこんなで
五年生の終わり頃だったか?
六年生になった頃だったか?
急に
バーサンと、連絡がつかなくなった
それはもう、私は大層心配しました


その時は
親父殿が家を売り
再婚し、バーサンを連れて再婚相手の家に入ってたそうだ


孫に会えなくなるのが嫌だったバーサンは、そこから脱走し
町営住宅で1人暮らしをはじめ
連絡をくれたところで、私も知る所となりました


オフクロ、この時も
『バーサンに会えなくなったら、悲しむと思って』
私には言わなかったのだそうだ
よかれと思ってな
カーッ(゜Д゜≡゜д゜)、ペッ


さて、コッソリと
養育費ブッチのネタを入れておいたが

再婚して、新たに妹を作成していたようなのですが
どうやら、アタシらに使うカネは無かったらしい
うむ、主義一貫、立派なもんだ

 


さて、中学⇒高校⇒専門と、私も進み
しかし、バーサンには必ず月一回、会いに行く生活が続きました


しかし卒業し
地元から首都圏に移り住み
バーサンには年2回会うのがせいぜいになり

バーサン、だんだんボケも進み
怪我などもあり


ついには、1人暮らしが不可能となりました


そんな時
ずっと様子を見てきたとはいえ
我々は法的に、他人 となります

最後も近くなり
最後に保護する責任と権利があるのは
身内

そう、アイツだ


怪我したバーサンの見舞いに訪れたオフクロは
ついに、運命の再会をしてしまう

我らがイケメンたる親父殿は
その不慮の再会時、悪びれもせず、やはりイケメンな発言をしたそうな
『よう、久しぶり』


(・´ω`・)なに食ったら、人間はこのようになれるのか?

せめてトンズラでもしてくれた方が、まだ人間味があるというものである

 

 

 

(´・ω・`)さて、この男の
(´゜ω゜`)真の力は、まだまだ こんなものではない


コヤツは、あと2つ!
変身を残している


さらに経る事 数年
わけのわからない手紙が届いた


『故人の自動車税未納』事件の始まりである

知らんし
悼む気すら微塵も起きないが
くたばっていたらしい

というか自動車税て


(・´ω`・)あー、これ、まだまだ他にもあるヤツだよ

という事で、くたばったのは半年前らしいが
知らんかったルールで、無事に相続放棄


私は書類のやりとりで手続きだったので

書類で申請
さらに確認の書類に返信
という手順になりましたが

 


(・´ω`・)確認の書類よ?
『脅されて放棄するわけではありませんか?』
っつう項目があってさ?
んなもん、書類で確認できんのかいな?


なんにしても、これで終了である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ハズだった


 

 


さらに半年後か?
(・´ω`・)また妙な書簡が届く
年末の28か29に届いたソレは
『県保証人協会』からだと

見ると
カウントは3000万オーバー
会社2つぶんのカネ、払ってくんない?だって


意味わかりそうなヒトに聞いたら
『お互いに保証人だったんじゃねーの?』
だそうだ

片っ方が潰れて、もう片っ方もアオリくって、イッたんじゃね?
とのご意見でしたが


そういや、死亡関連の書類に
推定死亡時刻とあったそうだ
幸せな最後であった確率は低そうだのー

第一、アタシより後に縁ができたハズの
再婚相手も娘も
未納の自動車税とやらを払ってやってねーんだから


最後の最後の最後まで
(・´ω`・)本当に、しょーもない

 


別に恨んだりしてるわけではありません

しかし、事あるごとに
実に、しょーもない不愉快をくれる彼でしたので

そのぶんは
くたばっていようが、好き放題こきおろされるくらいはなー?

好き勝手やった結果なのだから、受けいれてくんねーとなぁ


さて、見ちまったオマエは大丈夫かな?
死後に身内からボロクソ言われるような人生じゃあ、ないですきゃ?


それにしても
保証人協会やら?
『少しでも払ってくれたらラッキー』
くらいのノリで、妙な書簡を届けてくださるのだそうです


(´゜ω゜`)年末の、年内には処理も確認もきかないタイミングで
クソみたいな気分を届けてくれやがって
くたばれ保証人協会!